10月28日(日)に「日本文化専門演習Ⅵ(2)(伝統芸能・民俗学)」の履修者で、東京都立川市砂川町の巡見を行いました。1653年に江戸市中へ飲料水を供給するために玉川上水が開削し、そこから分水が引かれた事によって、新田開発が行われた地域です。今回は、砂川地区を歩きながら、武蔵野新田の代表的な集落景観、地域にみられる民間信仰を学びました。
今は水量が少ないですが、船による運搬がありました。上りは水路の両側から綱で引っ張って遡ったそうです。天気もよく散歩している人も多かったですね。
畑や住宅街を通りながら砂川の総鎮守の阿豆佐味天神社(あずさみてんじんじゃ)に行きました。境内では七五三祝いの参拝者で賑わっていました。
この地区は都内有数の養蚕の産地でした。境内には、境内社に祀られている蚕影神社(こかげじんじゃ)が祀られ、蚕の天敵のネズミを猫が退治してくれることに由来し、猫の置物や駒猫(!?)が奉納されてます。蚕影神社は、別名「猫返し神社」とも呼ばれ、「お参りすると迷い猫が戻ってくる」と知られています。たくさんの絵馬に、その想いが込めらてます。
臨済宗流泉寺の墓地にお邪魔しました。草分けの家のお墓と墓域の広さに一同驚きました。
通船の安全を祈願して祀られている金毘羅神社に行きました。小高い山の頂上に祀られています。実は富士塚とよばれる富士山に見立てて作られた人口の山です。
砂川地区は、戦後日本を揺るがした砂川闘争・砂川事件で知られます。立川市砂川学習館の展示を観覧し、その後その舞台をめぐり歩きました。
直線距離だと電車でわずか3分程度ですが、一日かけてじっくり歩くと多くの学びが発見できますね。
***履修生の感想***
・川の水が綺麗で魚が見えてびっくりした。草分けの家の屋敷の大きさに驚いた。
お墓も別格だった。戦死者の墓が興味深かった。
・橋が「旦那橋」と呼ばれていて、当時の名主が重要性や影響力を知った。
・玉川上水と分水が生活用水としてその地域の人たちの暮らしを支えていることが実感
できた。
・街道に面して居住地と生産地とが南北に細長い短冊形地割を実際に見ることができた。
また、畑の境木でお茶が植えられ、砂が逃げない工夫がされているなど、畑地の知恵
を学んだ。