中世フランス歴史紀行(4):オータン司教座聖堂

オータンAutun司教座聖堂

 

サン・ジャック(サン・チャゴ)に向かう巡礼の道は一本ではありません。フランス北東部からブルゴーニュ地方を通っていく道が、この司教座都市を経由します。

 

オータンはローマ時代から街道沿いに開けた都市で、当時の遺跡も残っています。聖堂は小高い丘の頂上にあり、駅からはひたすら上りです。15分も歩くでしょうか。聖堂の周囲は石畳の旧市街です。広場に面しているのは聖堂の側面で、正面はずいぶんと狭苦しい通りに面しています。その正面入口の上部(タンパン)には「最後の審判」の群像彫刻があり、ご承知のように人類を選別しています(写真1)。

 

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写真1

 

何やら文字が刻まれていますが、読み取れるでしょうか。中央のキリストを囲む光背の周囲には、左下から時計回りに、Omnia dispono((私だけが)万物を配置し)sulus meritos corono(徳ある者は(私)だけが褒める)quos scelus exercet(罪を犯した者たちには)me judice poena coercet裁き手たる私によって、罰が与えられる)と、あります。つまり彼が人類を裁くと。

 

その真下には真横に伸びる帯状の部分に、左からQuisque resurgetita(誰であれ、かくのごとくに復活する)quem non trahitimpia via(人生で悪しきことに手を染めなかった者は)et lecebitei(彼らには降り注ぐであろう)sine fine lucernadiei(絶えることない日々の光が)と刻まれ、左半分が天上へ上る人々であることが分かります。

 

キリストの真下には、Gislbertus hoc fecit(ジルベールがこれを製作した)と作者の署名があり、右半分にはTerreat hic terror(この恐怖が脅かす)quos terreusalligat error(地上の過ちが縛りつける者たちを)nam fore sic verum(なるほど真理とはかくのごときであると)notat hic horror specierum(この表現(彫刻のこと)の恐怖が示している)と、あまり行きたくない世界が表現されています。

 

文字を読めない人々が多かった時代に、死後の世界のイメージや、栄光や歓喜、あるいは苦悩や絶望といった抽象的な観念を視覚的に表現したわけです。ところで、この時代、12世紀に、作者たる職人が自らの名を刻むことは異例で、1130年から35年にかけて制作されたとされています。門扉を左右に分ける中央の柱にも彫像が刻まれていますが、これは19世紀になって付加されたもので、この聖堂が奉献されている聖ラザロと彼の二人の姉妹です(写真2)。

 

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写真2

 

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写真3

 

写真3は単なる装飾とは言い難い浮彫彫刻です。かつては聖堂内部にあったのですが、現在はすぐ近くの小さな美術館(15世紀にブルゴーニュ公の尚書筆頭であったニコラ・ロランの居館)に展示されています。この浮遊する女性像はイヴです。そっと手を伸ばして、もぎ取っているのは、もちろん「知恵の木の実」です。姿態と表情が大胆にデフォルメされた作品で、個性的。この彫刻は門扉上部の「最後の審判」と同じ人物、ジルベール、の手になるものであることが知られています。