えいごコラム(28)
寡黙な日本語 (1)
日本語は「口数の少ない言語」だといわれます。口に出さずに省略する部分が多いということです。たとえば誰かを駅に迎えに行くとき、こんなふうに言うことがありませんか?
「何時に着くの? 迎えに行くよ。」
これは日本語の発話として普通ですよね。しかしこれを英訳すると、おそらく次のようになります。
“What time are you getting to the station? I’ll meet you there.”
日本語の方には、まず「駅に」という情報が含まれていません。さらに、1つめの英文の “you”、そして2つめの英文の “I”, “you”, “there” に相当する部分が欠けています。英語ではこれらを省略することはできませんが、日本語では、状況からお互いに了解できている場合は、むしろそれらを口にしない方が自然なのです。この場合に日本語で「あなたは何時に駅に着くのですか。私はあなたをそこへ迎えに行きます」と述べることはまずあり得ないですよね。
この「状況から推測できることは言わない」という日本語の特質が、じつは漫画文化に大きく寄与しています。漫画はコマの中の小さなフキダシにセリフを収めねばならないメディアです。とうぜんそこで使われる言葉は簡潔であるほどいいわけです。「迎えに行く」という発話だけで「私があなたを駅に迎えに行く」という内容を表現できる日本語は、それにきわめて適しているのです。
今回は尾田栄一郎の『ONE PIECE』を例にとりましょう。第2巻でルフィの仲間のゾロは、海賊「道化のバギー」一味の剣士、カバジと対決します。ゾロに斬られたカバジが倒れる場面のセリフを見てください。日英対訳で引用します。
頁数 |
話者 |
セリフ |
p. 189 |
カバジ |
くそ・・・!! 我々バギー一味がコソ泥ごときに・・・!! ここまで・・・!! |
Ggh. . . ! How could these common thieves have beaten us? We’re the Buggy Pirate Gang—the scourge of the seas!! How could things have gone this far. . . ? |
ここに「 How could+主語+ have +過去分詞・・・? 」という形が使われています。これは、あり得ないようなことが起きたときに「どうして~ということになったのか」、「まさか~ということになるとは」と述べる表現です。また scourge は “a person or thing that causes great trouble or suffering” 、すなわち「大きな災いや苦しみをもたらすもの」という意味です。これにそって英語のセリフをできるだけ直訳すると、「まさかこいつらのようなありふれた盗人が我々を倒すとは! 我々は海原の禍、海賊バギー一味だぞ! どうしてこんなことになったのだ?」という感じになります。
日本語の方のセリフには「動詞」がありません。つまり、「文」の形をとることなく、断片的な語句を並べただけで、英語のセリフに書かれているこれだけの内容を読者に理解させているわけです。読者の方も、口に出されない部分を話の流れや状況から推測しつつ読むという姿勢が身についています。英訳の際には、その部分を補ってより具体的な表現にし、「文」として完結したセリフに書き直す必要があるのです。
この英語のセリフを(しかも横書きで!)フキダシに書き込むのはたいへんです。そもそも、斬られて倒れる瞬間に、こんなに長々としゃべれるものでしょうか・・・?
上の例はまだ分かりやすい方で、日本の漫画のセリフにはもっと微妙な形で日本語の「寡黙さ」が顕れているものがあります。英訳と読み比べていくと、ときには、翻訳者がそのようなセリフの趣旨をとり違えているのではないかと感じるところも見つかります。次回は、やはり『ONE PIECE』から、そういう場面をひとつ紹介します。
(N. Hishida)
【引用文献】
尾田栄一郎、『ONE PIECE』第2巻、集英社、1998年
Oda, Eiichiro. ONE PIECE. vol.2. Trans. Andy Nakatani. San Francisco: VIZ, 2003.