6月18日(木)、生活文化学科の2年生必修科目「家族関係学」では、社会人類学・民俗学がご専門の渋谷研先生による特別講義「家は継いでいくもの?家の永続性から家族の在り方を考える」がありました。

男の子が家の跡取りとなって、女の子は他の家に嫁として入る―――こんなことは普段意識していないかもしれませんが、現代の日本では95%以上のカップルが夫の苗字を夫婦の苗字として婚姻届を提出しており、外見上、“夫がその家を継ぐ”現象がよくみられます。これを読んでいる女性の皆さんにとっては、自分よりも、男である兄や弟の方に、家の存続を託し期待を寄せようとする祖父母や親の言動を垣間見た経験がある人も少なくないのではないでしょうか。このような家の後継ぎとか、嫁とか家とかの話題になると、何か腑に落ちない得体の知れない不思議な違和感のようなものを感じるときはありませんか?
民俗学の創設者で我孫子市にも所縁の深い柳田国男は「家永続の願い」と題する小論の中で、死者・祖先は血筋の子孫から供養を期待し、死後の幸福は子孫からの供養が無ければ実現しないため、死者・祖先を祀るのは子孫である我々である。という考えかたのもと、我々子孫は、ご先祖様の幸福を祈り、祖先と自分というつながり、その永続性、連続性のなかで、私たちは生きているといいます。
そして生きている子孫祖先祭祀の継続性を実現する装置、場として、墓や位牌、△△家という家があります。だから仏壇の位牌に手を合わせ、墓参りをするという行為が行われます。先祖代々からつながっているため、墓や位牌、家を絶やすこと、というのは我々子孫にとっては先祖を不幸せにすることであり、すごく難しいわけです。
ところで元来、家とは生計を一つにする象徴である「カマド」を囲んで、一つの屋敷に幾組かの家族成員が、それぞれ独立しているヤ(家)やヘヤ(もともとは敷地内に設けられた付属の建物)の集合体であるといえるのだそうです。そのように大きな共同体であった大家族は近世以降解体し、本家と分家が分かれ、小家族となっていったということです。
その多くの家の連合体、本家を中心に分家が集まり「同族」を作り、絶家(家の断絶・消滅)は避けるべき問題であるとされてきたといいます。同族神、家の正業、家風、家督、家名、祖先祭祀、墓は継承すべきものであり、それを任されているのが我々子孫であるということになります。
家にせよ同族にせよこれを継承させていくために、家族・同族内の成員の地位、役割(同族の長、家長、長男、主婦等々)があるといえます。
少子高齢化が加速する昨今、家・家族に対する漠然としたイメージや違和感あるいは期待値があるとすればその根底には家は継続する(べき)ものという観念があるのではないでしょうか。
私たちの身近な生活の中の様々な出来事と繋がり、家族、家庭生活を再度考えるきっかけをいただいた授業でした。

授業を終えての学生の感想をいくつか紹介します。
今回の授業を通して、ご先祖様がいる仏壇やお墓などにしっかりと手を合わせるということは、御先祖様を幸福にするということを知った。今の時代お墓参りに行く人が少ない中、自分の家族は忘れずに必ず行っているから自分も受け継いで、最終的には自分の子供にもしっかり受け継いでほしいと思った。(M)
家についてちゃんと考えたことがなかったので考えるいい機会になった。家の語源とか、知らなかったので聞いてみてそうだったんだなと思った。(T)
私はこれまで相続や家の継承について深く考えたことがなかったため、とても新鮮な内容だった。講義では、武家社会において「お家」を守ることが重視されていた話や、同族と親族の違いについて説明があり、現代の家族観との違いを知ることができた。また、長男優先相続や長子優先相続、末子相続など、地域や時代によって継承方法が異なることに驚いた。さらに、妻訪婚や嫁入り婚、新処婚など、家族形成の形態にもさまざまな種類があることを学んだ。今回の講義を通して、家の継承や家族の形成は社会や文化と深く関わっていることを知り、これまであまり興味のなかった相続について考えるきっかけになった。(S)
「お家大事」の歴史や婚姻形態の変遷から、昔の家族は「永続すべき器」として最適化されていたことが分かりました。また、個人の自由が優先され、家という枠組みがなくなった現代だからこそ、これからの家族の繋がりの在り方を考えていきたいと思いました。(I)
渋谷先生、楽しい講義をありがとうございました。