中世フランス歴史紀行(7):フォントネィ修道院

夏から一時中断していた「中世フランス歴史紀行」を再開します。

 

唐突に終わってしまったのではないかと心配された方もいたかもしれませんが、今回を含め3回を春休み中に掲載します。

 

フォントネィFontenay修道院

 

シトー派は1098年にブルゴーニュ地方に設立された修道会で、発足当初は22名でした。1112年に著名なベルナルドゥスを迎え入れ、1119年末に会則「愛の憲章」を作成し、それが教皇から承認されると、急速に発展し、南フランス各地に修道院を建設しました。聖務に従事する修道士とは別に、助修士とよばれる労働に従事する者たちが積極的に荒地を開拓し、自給自足の生活圏を形成しました。

 

 

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写真1

 

 

私たちが思い浮かべる修道院のイメージにぴったりするのがこの会派の建造物でしょう。フォントネィはまさにブルゴーニュ北部にあるシトー派の修道院です。方形の中庭を装飾のない回廊が囲み、その回廊に面して修道僧の庵室や会堂、礼拝堂を配置しています(写真1)。初夏の良く晴れた一日、白い石と新緑の無音の世界に、柔らかな光が溢れていました。

 

 

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写真2

 

 

礼拝堂に置かれた聖母子像は14世紀の作品と考えられます(写真2)。本来、幼子を抱く聖母は光背で表現されます。聖母は昇天後にイエスの手で戴冠されたとされますから、この彫像は時系列が乱れていますが、中世後期になると、このように戴冠した聖母が幼子を抱いている像が多くなります。天上の栄光を約束されている、ということでしょうか。幼子を見つめる聖母が微笑んでいるのが分かりますか。

 

参考文献:エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術』岩波書店、1980年(文庫版、1995年)