【えいごコラム62】  "Today "

 

えいごコラム(62)

 

“Today”

 

先日の朝日新聞で “Today” という育児をテーマにした詩が紹介されていました。ニュージーランドの育児支援施設の壁に貼られていた詩を、訪れた日本の研究者が筆写し、友人の詩人に翻訳を依頼したのだそうです。日本語版の「今日」はネットを介して静かに共感の輪を広げ、絵本としても出版されました。

 

以下に、詩の一部を日本語と英語でそれぞれ引用し、表現を比較してみようと思います。まず、育児に追われて洗い物も掃除もままならない状況が描写されます。

 

今日、わたしはお皿を洗わなかった

ベッドはぐちゃぐちゃ

Today I left some dishes dirty,

The bed got made about two-thirty.

 

原詩の1行目には leave O C 」 、つまり 「OをCの状態のままにする」 という形が使われています。直訳すると「何枚かの皿を汚れたままにした」で、ぜんぜん洗い物をしなかったのではなく、何枚か洗い残したということになります。

 

また “The bed got made” の部分は 「get C 」、すなわち 「Cの状態になる」 です。 made make の過去分詞で受動の意味をもちます。bed make するというのは、寝具を整えて寝られるようにすることです。ですから原詩の2行目を直訳すれば「ベッドは2時半ごろ整えられた状態になった」となります。1日中ぐちゃぐちゃだったわけではなくて、2時半にちゃんとベッドメイキングをしたんですね。日本語版の方が、家事の「やってなさ加減」がやや強調されている気がします。

 

ちなみになぜ2時半かというと、dirty thirty で韻を踏ませるためです。ここだけでなく原詩は2行ごとに押韻しています。

 

続いて「わたし」は、今日自分は何をやったのだろう、と問いかけます。

 

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた

わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた

I nursed a baby till she slept,

I held a toddler while he wept.

 

baby は、基本的には1歳ごろまでのまだ歩けない「乳児」のこと、それに対して toddler は1歳から3歳ごろまでの、歩きはじめたばかりの「幼児」のことです。さらに babyshe で、toddlerhe で受けていますから、これが別の子のことだと分かります。「わたし」には1歳ぐらいの女の子と3歳ぐらいの男の子がいるのかもしれないと思わせます。

 

また nurse ですが、たしかに動詞としては “feed (a baby) at the breast” (赤ん坊に母乳を与える)という意味があります。その一方、 “hold closely and carefully or caressingly” (しっかりと、注意深くまたは愛撫するように抱く)という意味にもなります(いずれもODE)。この場合どちらとも解釈できますね。

 

最後に、一日をふり返って、「わたし」はこのように感じます。

 

たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと

でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは

澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために

すごく大切なことをしていたんだって

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、

わたしはちゃーんとやったわけだ

Not much that shows, I guess it’s true.

Unless you think that what I’ve done

Might be important to someone

With bright blue eyes, soft blonde hair.

If that is true, I’ve done my share.

 

自動詞の show は「明らかにわかる」ということで、 “Not much that shows” で「見てそれと分かるようなことはあまりしていない」という感じです。最後の部分には “do one’s share” 、つまり「責務を果たす」という形が使われています。

 

まん中の行の someone は単数扱いです。 “someone with bright blue eyes, soft blonde hair” は、「きらきらした青い目と柔らかな金髪の誰かさん」という感じで、あれ、やっぱり「わたし」の子どもは1人なのかな、と思わせます。たぶんこの詩は、育児をしている多くの人たちがそれぞれ共感できるよう、さまざまな状況をふまえて書いてあるのでしょう。日本語版ではここを「澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子」と書きかえ、日本人読者が共感しやすいようにしています。文化的な配慮を忘れない巧みな訳ですね。

 

育児にたずさわる人の喜びと誇りが静かに伝わるすばらしい詩です。日本語訳もよく工夫され、心に響きます。

 

ただ、記事でひとつ気になったのは、日本語版を読んだ人たちが「わたし」はママのことだと何の疑いもなく思っているらしいことです。少なくとも英語版では、「わたし」を男性と解釈してもまったく不自然ではありません。ひょっとして、こんなふうに感じながら育児に励んでいる「パパ」がどこかにいるかもしれませんよ。

(N. Hishida)

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【引用文献】

「「Today」ママに染みる詩」、『朝日新聞』、2014年11月18日朝刊

『今日』、伊藤比呂美訳、下田昌克絵、福音館、2013年