中世フランス歴史紀行(2):アンジェ城

アンジェAnger城

 

アンジューAnjou伯は西フランク王国の貴族で、10世紀に勃興しました。2代目、フルク・ル・ルー(赤毛)が伯を名乗ったのは941年とされています。このフルクがフランス中部をゆったりと流れ、大西洋に注ぎ込むロワール川下流域を勢力圏とし、襲来するヴァイキングを撃退して名を成しました。

 

爾来、フルクはこの一族の誇り高き名となって、同名の当主が何人も出現します。曾孫に当たるフルク・ネッラ(黒い)(987-1040)は築城に巧みで、多くの城砦を建設したことで知られています。

 

しかしアンジュー・プランタジネット家はジョンの治世(位1199-1216)にフランス王フィリップ2世(位1180-1223)に陥れられ、ロワール川以北の大陸所領を次々に失い、1205年にはアンジューまで奪われてしまいました。

 

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写真はフランス王ルイ9世(位1226-1270)が1228年から38年にかけて大幅に改修した後のアンジュー城の姿です。恐ろしく分厚い城壁と一体化した丸塔は全部で17あり、高さは50mもあります。その外側に巡らせた幅広の濠は、現在では御覧のように、公園になっています。居城も今は美術館で、黙示録を題材としたタピスリー(14世紀の作品で総延長100m超)が展示されています。