中世フランス歴史紀行(1):ノートル・ダム・ド・パリ

歴史の研究の基本は過去に書かれた文字をじっくり読み解くことにありますが、それに劣らず歴史の舞台を自らの目と足で体感することも大切です。歴史に関心を持つきっかけが、旅先で、あるいはテレビ越しに見た光景だという人は多いのではないでしょうか。

 

「史学科NEWS」では、教員たちがこれまで訪れた場所や目にしたものを写真とともに紹介する「歴史紀行」を連載します。

 

まずは金尾健美先生による「中世フランス」編です。旅の始まりはパリのノートルダム大聖堂です。

 

 

ノートル・ダム・ド・パリ

 

あまりに有名な大聖堂です。ステンド・グラスを別にすれば、端から端まで彫刻で埋め尽くされています。西側正面には入口が三つあって、どれもびっしりと彫刻に取り囲まれ、圧倒されます。

    

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天使、聖人、王、と有名人の肖像(?)ですが、詳細に眺めると、一つだけ、奇妙な像がありますね。首がない。戦争や革命で破壊されてしまったのでしょうか? いえ、よくよく見れば、首を両手で抱えています。

 

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右から2人目の人物の首がありません

 

 

???という気分になりますが、これは初代パリ司教ディオニシウスの像です。3世紀ゆえ、キリスト教はいまだ公認されていません。彼はパリの北、小高い丘で斬首されました(それゆえ、この場所を後に「殉教の丘(モン・マルティール⇒モンマルトル)」と呼ぶようになります)が、次の瞬間、彼は自分の首を抱えて、数キロにわたってよろよろと歩き、バッタリと倒れたと伝えられています。

 

その地に彼を祀って建設されたのがサン・ドニ(聖ディオニシウス)修道院教会であり、639年、メロヴィング家のフランク王ダゴベルトがここに埋葬され、以降、フランス王家の埋葬修道院となりました、というお話。

 

参考:ヴォラギネ『黄金伝説』人文書院、1979-1987