【えいごコラム49】 八百屋のアポストロフィ(2)

 

えいごコラム(49)

 

八百屋のアポストロフィ(2)

 

前回のコラムでは、英国の青果店などの価格表示に、 “Apple’s – 20p” のように、名詞の複数形にアポストロフィを入れる表記があると述べました。これは「八百屋のアポストロフィ」(the greengrocer’s apostrophe)と呼ばれ、教養のなさを示すものと見なされています。『ミドル・クラスABC』という本は、この件に関する「中流階級」の人々の姿勢を次のように紹介しています。

 

This is silly. We all know what they mean by ‘apple’s’ and we have the bonus of feeling clever for spotting that it’s grammatically a mistake.”

 

このように、「八百屋のアポストロフィ」の文法的誤りに気づくことは、彼らが社会的地位の低い小売商人たちに対する優越感を味わう機会となってきたわけです。

 

しかし、このアポストロフィの用法は本当に「誤り」なのでしょうか。『オックスフォード英文法辞典』は、アポストロフィについて次のように記しています。

 

The sign 〈 ’ 〉 which is used to indicate (i) the omission of a letter or letters, as in don’t, ’cause, the ’90s; and (ii) the modern *genitive *case (2), as in boy’s, men’s. (p.30)

 

ここでまず分かることは、アポストロフィは本来「文字の省略」を示すために用いられるもので、「所有格」(genitive case)を示すのは新しい用法だということです。所有格に用いられるようになった経緯については次のように説明されています。

 

The *possessive apostrophe originally marked the omission of e in writing (e.g. fox’s, James’s), and was equally common in the nominative plural, especially of proper names and foreign words (e.g. folio’s = folioes). (p.30)

 

所有格の末尾が「アポストロフィ+s」となるのは、もともとはそこに e が省略されているのを示すためでした。たとえば fox James s をつける場合、発音が「フォクシズ」、「ジェイムジズ」となるため、正しくは foxesJameses とつづります。つまり fox’s James’s という所有格は、 s  の前の e を省略した形なのです。このやり方は名詞の複数形でも、とくに固有名詞や外来語についてよく使われました。たとえば、本の判型を表す folio (二折判)はラテン語由来の語で、複数形は正式には folioes です。その e を省略した folio’s が複数形として使われたわけです。

 

『英文法辞典』は、後に複数形のアポストロフィは次第に使われなくなり、その一方で所有格のアポストロフィは、 e を省略していない部分にもつけられるようになったと説明しています。

 

It was gradually disused in the latter, and extended to all possessives, even where e had not been previously written, as in man’s, children’s, conscience’ sake. (p.31)

 

そして辞典は、現代英語においては、普通名詞の複数形にアポストロフィをつけること、たとえば potato の複数形を potato’s とすることは、 “the greengrocer’s apostrophe” として「無教養」と見なされると述べます。

 

でも、ちょっと考えてみてください。 potato の複数形は potatoes です。さらにこれはスペイン語由来(もとは新大陸由来)の外来語です。先ほど述べたように folio の複数形が folio’s と記されるなら、複数形を potato’s と記すことはむしろアポストロフィの本来の使い方であるはずです。

 

その一方、前回のコラムでとりあげた “King’s Road” については、 King の後に は省略されていません。したがって、「アポストロフィ保存会」は正しい文法を子どもたちに教えるためにアポストロフィを残すべきだと主張していますが、 King  の後にアポストロフィを入れることは、その本来の使い方からいえば「誤り」なのです。

 

ある意味では、文法的に正しいとされるアポストロフィ入りの街路名よりも、「八百屋のアポストロフィ」の多くの方が、アポストロフィの古来の用法にのっとった「正式」なものだということになります。われわれはこのとき、アポストロフィをめぐるこの論争がそもそも「文法」に関するものではないことに気づきます。これは一種の「階級闘争」なのです。

 

英国では「正しい文法」と階級の概念が密接に結びついています。支配的な立場にある人々は、文法の「規範」を定め、その規範にそわない英語を使う人々を自分たちよりも「劣った」、「教養のない」存在と見なしてきました。アポストロフィの用法は、いわばそのような規範を象徴するものです。

 

そのアポストロフィが社会的に不都合な存在として街路表示から削除されることは、彼らの優越感の基盤となってきた規範が崩れることでもあります。それによって彼らは「八百屋のアポストロフィ」を見下す根拠を失ってしまうのです。それが、ケンブリッジの知的階級の人々が、夜中にマジックペンを手に歩き回ってまで、アポストロフィの削除に必死になって抵抗する本当の理由です。

 

「正しい英語」と「階級」の結びつきは、英国の文化を理解する上で欠かせない観念です。こうしたことにも目を向けてもらえればと思います。

(N. Hishida)

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【引用文献】

Aarts, Bas, Sylvia Chalker and Edmund Weiner. The Oxford Dictionary of English Grammar. Oxford: Oxford University Press, 2014.

Cotter-Craig, Fi and Zebedee Helm. The Middle-Class ABC. London: John Murray, 2012.