【えいごコラム37】 ドルトンとヒルルク

 

えいごコラム(37)

 

ドルトンとヒルルク

 

6月のオープンキャンパスの体験授業で、また『ONE PIECE』をもとに日英語の「省略」について話をしました。せっかくなので一部をここで紹介します。とり上げるのは第16巻「受け継がれる意志」、船医チョッパーの物語です。

 

チョッパーはかつて、故郷のドラム王国でヒルルクという男と暮らしていました。彼は藪医者でしたが、国王ワポルの暴政に苦しむ国を彼なりに憂い、「国を救う」ための研究を続けていました。ある日、病のために余命わずかであることを悟ったヒルルクは、ワポルの宮殿に乗りこんで壮烈な爆死を遂げます。死の間際の彼のセリフから引用します 

 

コマ

話者

セリフ

 p. 175

 最終コマ

 ヒルルク

 おれが消えてもおれの夢はかなう

 病んだ国民の心も きっと救えるさ・・・!!

 I may disappear, but my dream will live on.

 And the ailing hearts of the people will be healed.

 

王国の守備隊長ドルトンは、ヒルルクの言葉に心を動かされ、われ知らず涙を流します。彼は忠義な男ですが、ワポルの統治のやり方にずっと危惧を抱いてきたのです。次のページで彼らの対話が展開されます。

 

コマ

話者

セリフ

 p. 176

 1コマ目

 ヒルルク

 なぜ泣くドルトン君

 Why the tears, Dalton?

 p. 176

 2コマ目

 ドルトン

 ・・・・・・・・・!!

 ・・・・・・国も・・・・・・! 同じだろうか・・・

 ・・・!!

 What will become of this country?

 (直訳:この国はどうなるのだろうか。)

 p. 176

 3コマ目

 ヒルルク 

 ・・・・・・・・・・・エッエッ

 “受け継ぐ者”が・・・いりゃあな・・・

 Heh heh. . .

 Someone will continue my work.

 (直訳:誰かがおれの仕事を続けるだろう。)

 

英語のセリフがちぐはぐなのにお気づきですか?まずドルトンのセリフですが、ヒルルクの言葉を受けて彼に問いかけているはずなのに、「この国はどうなるのだろうか」と、ヒルルクの言ったことと関係ないセリフになっています。さらにヒルルクの返答も、「誰かがおれの仕事を続けるだろう」で、「国」に関するドルトンの問いにまったく答えていません。

 

なぜこうなるのでしょう。以前のコラムで、英語で省略が起こるのは直前の語句をくり返すことを避けるためだと説明しました。逆にいうと、英語は原則として「直前に書いてあることしか省略できない」のです。上の2コマ目と3コマ目の日本語のセリフは、断片的で文になっていませんから、ここには省略があると考えられます。ところがここで省略されているのは、直前ではなく、前のページに書いてあることです。

 

ドルトンの言う「国も同じだろうか」は、175ページのヒルルクのセリフを受けて「自分がいなくなったとしても、この国をより良くしたいという自分の願いはかなうのだろうか」、さらに「国民の心だけでなく、病んだ“国”そのものを癒すことができるのだろうか」という問いかけになっているのです。そしてヒルルクは、「国を癒したいというその願いを受け継ぐ者があれば、かなうだろう」と返答しています。日本人読者は、彼らの簡潔なやりとりから、前のページにまでさかのぼって、これだけの内容を読みとってしまうわけです。

 

英語にはふつうこんな「省略」はありません。英語のセリフで上記の内容を表現しようと思えば、おそらくそれを丸ごと英訳するしかないでしょう。日本語の形を生かすことを重視して、たとえば「国も同じだろうか」を “Do you say the same of nations?” のように表現した場合、英語話者にそれが前のページのセリフへの言及であることを理解させるのはかなり困難だと思われます。そのため英語版は、それぞれのセリフを英文として完結させることを優先し、それらと前ページのセリフとの関わりを示すことを放棄してしまっているのです。

 

ここはドルトンとヒルルクという、生き方は不器用だけどどこまでも真摯な2人の男が、邂逅して言葉を交わす唯一の場面です。英語の特質からしてやむを得ないことなのかもしれませんが、ちょっと残念ですね・・・。

(N. Hishida)

 

【引用文献】

尾田栄一郎、『ONE PIECE』第16巻、集英社、2000年

Oda, Eiichiro. ONE PIECE. vol.16. Trans. JN Productions. San Francisco: VIZ, 2007.