【えいごコラム25】 ファンタジーは美味しい

 

えいごコラム(25)

 

ファンタジーは美味しい

 

前回は『ライオンと魔女』で、主人公の子どもたちがビーバーに出会って彼の家を訪れる場面をとり上げました。今回はその話の続きです。

 

家にたどりついた子どもたちは、ビーバー夫人(Mrs. Beaver)に夕食を振舞われます。メインはビーバー氏がダム湖で捕ってきたマスのフライです。その場面をちょっと読んでみましょう。

 

ピーターがビーバー氏と魚を捕りに行っている間、スーザンとルーシィはビーバー夫人を手伝って食事の準備をします。

 

Meanwhile the girls were helping Mrs. Beaver to fill the kettle and lay the table and cut the bread and put the plates in the oven to heat and draw a huge jug of beer for Mr. Beaver from a barrel which stood in one corner of the house, and to put on the frying-pan and get the dripping hot. (pp. 79-80)

 

最後の “put on the frying-pan and get the dripping hot” の部分を見て下さい。フライパンを火にかけるのはいいとして、 “dripping” を熱くするというのはどういうことでしょうか。

 

ODEで dripping を引くと“fat that has melted and dripped from roasting meat” とあります。 dripping とは、肉のかたまりをローストしたとき、肉からにじみ出てオーブン皿にたまる脂や肉汁のことです。これを脂と汁に分け、汁の方は肉に添えるグレービーソース(gravy)を作るのに使い、脂はフライなど他の料理に使うというのは、英国料理の基本的な手法のひとつです。たとえば英国の伝統料理、フィッシュ&チップスのレシピには “Heat the dripping in a pan. . .” といった記述がよく出てきます。

 

つまりナルニアのビーバー夫人は、たいへん伝統的な英国料理の手法でマスのフライを作っていることになります。

 

デザートはどうでしょうか。デザートが供される場面は次のように描写されています。

 

And when they had finished the fish Mrs. Beaver brought unexpectedly out of the oven a great and gloriously sticky marmalade roll, steaming hot, and at the same time moved the kettle onto the fire, so that when they had finished the marmalade roll the tea was made and ready to be poured out. (p. 82)

 

この “marmalade roll” は、ふつう “marmalade roly-poly” と呼ばれているようです。『ガーディアン』紙のアーカイブを探したら、なんとある記事でレシピが紹介されていました。おおよそのところを記せば次のようになります。

 

1. 小麦粉、砂糖、バター、スエット(牛脂)、卵、牛乳、生クリームなどを混ぜて生地を作る。

2. 調理台の上で生地を1~2cmの厚さに伸ばす。上にマーマレードを塗り広げ、ていねいに巻いて

  ロール状にする。

3. バターを塗った皿に乗せ、160度のオーブンで1時間ほど焼く。

 

下に記事のURLがあります。写真も出ていますのでぜひ見てみて下さい。記事には、この “marmalade roly-poly” “classic British dumpling dessert” 、つまり英国の小麦粉生地を使ったデザートの古典的なものだと書かれています。

 

ようするにビーバー夫人の夕食は、料理だけでなくそれを供する手順も含めて、昔からある素朴で実質的な英国のディナーそのままなのです。これは日本人に置きかえると、押入れを通って異世界に転がり込んだら、そこで夕食に鯖の塩焼きと豆腐の吸い物が出てきたようなもので、「何のための異世界なんだ」という気がしないでもありません。

 

しかし、これも英国ファンタジーの特質のひとつなのです。前回のコラムで、英国のファンタジー作品には、どんな状況でも日常の習慣やマナーを放棄しない、という英国人の資質がしばしば表現される、と述べました。それを典型的に表すのが、慣れない環境や困難な状況にあっても、主人公たちがいつもと同じように食事を楽しんでいる、この光景なのです。そのことが、彼らが本来の価値観や良識、判断力や気力を失っていないことを示しています。

 

じっさい、英国のファンタジーには食事場面がよく出てきます。アリスは不思議の国でやたらにものを食べますし、ハリーたちはいつも蛙チョコレートやバタービールを楽しんでいます。そして『指輪物語』(The Lord of the Rings, 1954-5)のフロドとサムは、敵地に近いイシリエンの野で、ウサギの煮込みを作ってつつきます。こうした場面がいかにも美味しそうに、楽しげに描かれていることは、英国ファンタジーの大きな魅力です。

 

ちなみに、われわれの世界のビーバーは草食で、主な食べ物は木の皮や水草ですし、もちろん魚も捕りません・・・残念ですね。

(N. Hishida)

 

【引用文献】

Lepard, Dan. “Dan Lepard’s recipe for last-of-the-marmalade roly-poly.” The Guardian. 25 Nov. 2011.

( http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2011/nov/25/marmalade-roly-poly-recipe-lepard )

Lewis, C. S. The Lion, the Witch and the Wardrobe. 1950. London: Collins, 2001.